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学部長からのメッセージ

2022年7月4日更新


 よりよい人の生活とは何か。どうすれば人々の生活をよりよくできるか。
 この問いかけに学術はどう答えることができるでしょうか。
 たとえば生活の「豊かさ」とはどのように測定できるか。自然や社会や人間のさまざまな事象や問題を「生活者の視点」あるいは「臨床の視点」から捉え直すと、どのように見えてくるか...... 〈生活を科学する〉生活科学部の教育と研究は多様な内容を包含していますが、全体をゆるやかに方向づけている問題意識があるとすれば、このような問いであるといえるでしょう。

 人の生活と一口に言っても、多面的であり、かつ統合的です。
 一例としてOECD(経済協力開発機構)のBetter Life Indexを取り上げてみましょう。これは「よりよい生活」を示すとされる11の指標で加盟各国における生活の豊かさを測定・比較しようとする試みです。たとえば日本のスコアをみると、「市民の政治参加(civic engagement)」や「ワーク・ライフ・バランス」といった指標はいずれも最低ランク。逆に「治安」「雇用の安定性」「教育」の指標は比較的良好ですが、「居住空間(housing)」「家計」「自然環境の質」は中ぐらい、「社会的支援のネットワーク」「健康」「生活満足度」指標は加盟各国の中では決して高いほうではないという結果が示されています(2022年6月最終閲覧)。他方「食事・水」「衣服」あるいは「個人の尊厳」「人権の保障」「インクルージョン」に関わる指標は明示的には取り込まれておらず、果たしてbetter lifeの指標がこの11個で過不足ないといえるかどうかも検証されるべきでしょう。
  しかも現実の生活者にとっては、それぞれに奥行きを持つこれら多様な側面が相互に連関しつつ生活の全体が成り立っている。人の生活は統合的であり、「よりよい人の生活とは何か」という問いに有効に答えるためには、各側面をただばらばらに分析しただけでは不十分といえます。専門分化した研究は問題を限定して掘り下げ、そうでなくては得られない貴重な知見をつかみ取ってくるのですが、同時に現実の生活者にとっては全ての問題は互いに絡み合って一個の生活世界を構成しているのですから。 
  「食」を例にとれば、栄養学的な側面が客観的に重要であるとともに、人にとって調理や食事という行為がどのような意味や価値を持っているかという主観的な側面も同じように重要でしょう。食器やテーブルなどは、「用と美」などといわれるように、文化の結晶であり、そこに歴史が凝縮されています。他方、ごく日常的な食品すら、今やその開発・生産・流通は今やグローバルな規模で展開しており、そこでは自然科学や科学技術の力が必要不可欠であると同時に、国際社会の動静や気候変動、災害や戦争なども影響してきます。こういったことはすべて、われわれの生活の豊かさを左右する重要なファクターであり、よりよい人の生活とは何かという問いと無関係ではありません。「生活科学部」というひとまとまりで研究・教育をおこなうことが意味をもつ所以です。

  生活科学部は、家政学部(1950年設置)を改組して1992年に発足しました。家政学部から生活科学部への改組は、個別の研究・教育の専門分化が進展したことに加え、現代人の日常生活が家庭内で完結しているわけではなく、このように政治や経済、医療や福祉など社会全体、あるいは都市化・産業化、さらに地球規模の自然環境とも抜き差しならない関係にあるという認識が明確になってきたことが背景にあります。またジェンダー論的な視点、芸術性やデザイン、また消費や情報の側面への関心が強くなってきたことへの対応という面もあります。他方で、およそ人間存在にとって普遍的な「からだ」と「こころ」に関する研究、健康や発達、ケアやセラピーをめぐる研究なども活性化しました。この30年間における何回かのマイナー・チェンジを経て、生活科学部は、家政学部時代に比べてはるかに広くかつ専門的な研究領域を包含し、統合するようになってきたといえるでしょう。
  このように〈生活を科学する〉ためには、高度な専門性による深い分析と、領域横断的な視野のもとでの包括的統合の両者がともに必要です。そこにはあらかじめ決まった正解などありません。「よりよい人の生活とは何か」「どうすればよりよくできるか」とつねに問い直す生活科学部の模索はさらに続きます。


2022-23年度 生活科学部長  小谷 眞男
 

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